プログラム
- DAY1-セッション11
- 時間:17:40~18:10
令和6年能登半島地震―災害拠点病院で何が起きていたのか―
輪島市内唯一の総合病院である市立輪島病院は、災害拠点病院として能登半島地震の対応にあたりました。施設・設備が損傷し、医師や看護師も被災。リソースが大きく制限される状況下、DMAT(災害派遣医療チーム)と連携して運び込まれる負傷者や感染症に苦しむ患者を懸命に処置、市外の病院に送り出して命をつなぎました。そして嵐のような超急性期・急性期が過ぎると、医療需要は一転して急減し、代わって、地域の介護機能の低下が深刻な課題として浮上。今度は福祉の側面から住民の命を守るため、迅速・柔軟な業域拡大を行いました。大地震に見舞われた半島奥地、命に直結する医療の現場で何が起きていたのか、業務継続計画の何が機能し何が機能しなかったのか、組織の何が問われ、どう応えることができたのか。発災から数カ月の取り組みを語ります。
Speakers
市立輪島病院
事務部長河﨑 国幸 氏
1995年輪島市入庁。98年石川県庁出向、2000年帰輪、介護保険担当。2007年能登半島地震で被災、日本初の災害救助法準拠の福祉避難所設置運営。08年厚労と日赤共催における福祉避難所ガイドライン策定委員拝命、15年内閣府による福祉避難所ガイドライン見直しのワーキンググループ委員拝命、16年市立輪島病院出向(参事)、以後、事務長、現在は事務部長。22年福祉防災コミュニティ協会認定コーチ、24年能登半島地震被災。福祉避難所をはじめとする講演多数。